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クラーク防衛戦

陸海軍に関係なく比島では膨大な数の戦死者を生じてしまっています。その数も50万人以上にのぼります。さらにその他にも民間人もいるわけですが、兵士の大部分はもちろん陸軍です。ただ海軍も各地の拠点をもっており、かなりの戦没者を生じています。ルソン島方面ではマニラ・クラーク方面で激戦があったわけですが、マニラ方面では海軍側が撤退しておらず、現地住民も戦闘に巻き込まれ少なからず批判を生んでいます。

クラーク地区での戦闘では陸海軍とも悲惨な戦いになり、海軍側では大部分がその後の戦闘・餓死を含め、第16戦区以外は、ほとんどが戦没・全滅してしまっている。そのため戦没状況ははっきりしないことが多い。そのため戦後戦死の認定のためなんども会議が開かれています。はっきりしない方は最終的に米軍に包囲され多数の戦死者をうんだといわれている4月24日付で戦死認定となっています。ただその日は実際には戦死と認定するまではかなりの証言を確認してからになるため、戦後のかなり遅い時期になされているのが目立ちます。昭和22年4月で進級の奏上は終了となったため、どうなっているのかよくわかりません。表にでてない戦没者もかなりいるのではないかと思います(戦死叙位された名前をみると、数十人はいそうな感じです)

戦記もほとんどなく、このまま歴史の中に埋もれていくのでしょうかね・・・・せめてそこにいたこととか最後の様子だけでも明らかにしてあげたいです。


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ブログ開設とのお知らせでさっそく見ました。今後とも濃い内容を期待しております。

投稿: 于明東 | 2008年2月10日 (日) 22時09分

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