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山形の海軍士官

山形県の海軍士官は判明しているだけで1000人にもなります。将官も53人に上ります。一番有名なのはやはり南雲忠一大将でしょう。太平洋戦争の緒戦期に空母機動部隊を率いて太平洋中を席巻した南雲艦隊の長官です。南雲大将はサイパンで戦死しますが、最後の戦死の状況にはいくつか証言があって、どれが真実かは判明していません。長男の南雲進中尉も、岸波で戦死されています。他には黒井悌次郎大将・山下源太郎大将と3人の大将を輩出しています。

中将としては海軍一の理論家として有名な佐藤鐵太郎中将、兄弟で中将となった釜屋六郎・忠道中将、トラック大空襲の際の第4艦隊長官だった小林仁中将、終戦前に航空艦隊長官で知られる寺岡謹平中将、レイテ沖海戦で、栗田艦隊の一部として行動した金剛を中心とした後半部隊の指揮をとっていた鈴木義尾中将などが有名でしょうか。ただ法務死した将官も、阿部孝壮中将と、酒井原繁松少将と2人もいます。

海軍3校の首席を修めたものは3人いて、清水得一中将(機5期)、伊藤啓五郎主計少佐(経26期)、秋山盛雄主計少尉(35期)です。特選少佐は少なく、わかっている人では13人だけで、中佐進級者はいません。


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