« 日本郵船戦時戦史 | トップページ | 兵學校卒業五十周年記念誌 第一輯 »

無二の航跡

Photo 「無二の航跡」

海軍兵學校第62期會

1987年

非売品

-----------------------------

この本は海兵62期の同期会記念誌です。この本は、古本屋でよくみかけます。厚さは990Pもあります。戦史と、戦没者回想録、生存者の回想という形になっています。

それぞれについて略歴もまとめられており、小さいながら顔写真もつけられています。この期の方でいろいろ調べた人は、おいてある図書館も少なくないので、閲覧すると良いと思います。

この期は皇族が2人いるのですが、2人とも戦死という珍しい期です。伏見宮博英王、朝香宮正彦王です。宮様を除くと首席は福井県出身の田中武克少佐となります。航空関係を渡り歩いた方です。この期で有名な方といえば、納富健次郎中佐(瑞鶴飛行隊長)、千早猛彦大佐(偵察の名手、121空)、志賀淑雄少佐(343空飛行長)、周防元成少佐(戦闘機のり)、壹岐春記少佐(陸攻乗り)などなど、航空隊の主要幹部を務めた方が目立ちます。


« 日本郵船戦時戦史 | トップページ | 兵學校卒業五十周年記念誌 第一輯 »

海軍学校関係回想録」カテゴリの記事

コメント

前々からここを拝見していましたが、今回思い切ってメールを送らせて頂きます。
これまで満州国海軍江防艦隊と、後にこれが陸軍に編入されて江上軍となりましたが、これまでこの関係の資料を収集していました。
昨年から資料を整理してまとめにかかっていますが、創設期の江防艦隊は駐満海軍部から派遣の指導官の他に日本海軍の予備役、後備役の海軍士官や特務士官、准士官や下士官などと、5・15事件に連座して海軍を追われた士官や候補生たち、あるいは高等商船を卒業して予備少尉に任官し、艦隊勤務についていた東京と神戸高等商船出身者で、上層部から満州国海軍に転籍を勧められた人たち‥と言う具合に多くの日本海軍出身者が江防艦隊に勤務していました。
最初は江上軍顧問として勤務した内田実元陸軍中佐と連絡が取れて、この方を経由して日本海軍出身の江防艦隊の艦艇などに勤務した4名の方々からの聞き取り調査で「満州国江防艦隊始末記」という記事を雑誌「世界の艦船」に記載したのが1966年のことでした。
このうち日本海軍出身の方で終戦時に司令部の高級副官だった矢野善一郎氏[終戦時:中校・中佐で戦後ソ連抑留、昭和23年帰還、愛媛県松山市出身]が引揚げ後作成された「江上軍名簿」[江防艦隊当時を含む]を後に入手して、これとともに「満州国軍」[満州国軍に奉職した日本人軍官[将校]の親睦会の蘭星会が1970年頃に発行]を参照して調査していました。
しかし、江防艦隊に関係したと言われている日本人関係者の数について、「満州国軍」に記載の数に疑念があり、今になってアジア歴史センターの「満州国公報」を最初から見て、江防艦隊と江上軍関係の人事発令のあった日本人名を拾い出しています。
しかし、これで名前は分かっても創設期に日本海軍の予備役や後備役の方々の日本海軍時代の階級などが全く不明なのです。
高級副官だった矢野善一郎氏を始め横須賀の山内豊吉氏[砲艦艦長などを歴任、終戦時大佐]、西武雄氏などは不明です。
僅かに古賀忠一氏[海兵57期、5・15事件に連座して海軍を追われた方で、昭和15年に少佐で退官し、尹司令官とともに汪精衛政権の海軍に移り顧問として勤務、戦後佐賀県大川市に引揚げ]だけが分かっています。
その他にも佐世保市出身の松尾平一中校[中佐]や終戦時に砲艦「順天」艦長だったという佐世保市出身の高木実男しなどの日本海軍時代の階級が不明で、調査しようがなくて困っているのです。
このようなことがお分かりになれば誠に有難いことです。
書くことが多くて、取りあえず勝手ながら当方の事情を書いた次第で誠に申し訳ありません。

投稿: 田村 俊夫 | 2018年1月 3日 (水) 22時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/507812/45975942

この記事へのトラックバック一覧です: 無二の航跡:

« 日本郵船戦時戦史 | トップページ | 兵學校卒業五十周年記念誌 第一輯 »