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愛知の海軍士官

愛知はもちろん徳川家尾張藩の領地だったためか、草創期から活躍した方は見られません。しかしながら名古屋をかかえる大都市圏ですから、1700名ほど判明しています。将官は74名達します。シーメンス事件処理にあたった八代六郎大将、陸軍の土屋大将の長男の土屋光金中将、商船学校から将官になった真野巌次郎少将、艦隊派の大角岑生大将、呉鎭長官の日比野正治中将、潜水艦部隊に深くかかわった三輪茂義中将、最後の扶桑艦長阪匡身中将、最後の羽黒艦長杉浦嘉十中将、大和特攻時の二艦隊参謀長森下信衛少将、造船で有名な福田馬之助造船中将、福田啓二技術中将父子がいます。

佐官以下では、潜水艦長として著作もある稲葉通宗大佐、真珠湾で戦死した牧野三郎中佐、やはり真珠湾に出撃した牧秀雄少佐、陸攻隊でしられる巖谷二三男少佐、特攻を拒否しつづけた美濃部正少佐、特殊潜航艇で戦死した伴勝久少佐、回天で戦死した河合不死男少佐などがいます。特選任用は37名判明しています。中佐はいないようです。特攻戦死は93名に達します。

海軍3校首席は多く、兵13期伊藤乙次郎中将、53期道木桂大尉、69期山田進大尉、旧機3期水谷叔彦少将、4期白井齋知大佐、39期伊藤武夫中佐、42期山田亘中佐がいます。操練・偵練でも操6三浦竹二飛行特務大尉、偵8川合誠大尉が首席です。


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コメント

こんにちは。愛知県の光明寺(仮名)です。実はこの記事中にある海機旧三期首席の水谷叔彦海軍少将は親戚にあたります。私の父方の祖母の祖母の実弟であり、我が家では昔から「水谷のおじさま」と呼ばれています。また祖母の夫(つまり私の祖父)は矢矧沈没時の軍医長で、小川鏄也(せんや)といいます(戦死して中佐へ進級)。二人について、何かご存じのことはありませんか?

投稿: 光明寺雅人 | 2010年4月24日 (土) 15時40分

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