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三重の海軍士官

三重は九鬼氏による水軍が有名で、明治時代には鳥羽商船学校も設置されたこともあり、海軍関係者では初期にも有名な方が目立ちます。まずは攻玉社の創設、鳥羽商船学校の創設、海軍兵学校教官として有名な近藤真琴中佐です。黎明時の海兵生徒は武士の世の名残で荒くれ者が多く、教官を敬う姿勢が乏しかったようです。そのため近藤中佐も明治4年に中佐となっています。明治4年当時上から7番目、5年には6番目の順列で、士官としてはかなり高位の人物でした。黎明期の有名人のもう一人は水路部の柳楢悦少将です。現在は海上保安庁の管轄ですが、当時は海洋の測量は海軍の仕事で、水路局というのがありました。また明治期には水路科も存在していました。その水路関係のトップが柳少将です。近藤中佐と順列はほぼ一緒で、かなりの高官でした。黎明期には春日艦長を一時つとめましたが、明治4年に水路関係部署に異動となり、以後一貫として水路畑で過ごしました。

 三重県の海軍士官はわかっているのでは1000人弱です。将官は28名います。中将には布目、和波、須賀、草川、和田(操)、西尾、市川、太田(十三男)、竹内、別府、森田と10名ですが、すごい有名人というのはいないです。草川中将が日向艦長で戦死されていますので、そのあたりで見かけるでしょうか?将官以下では有名な杉野兵曹長と子息の杉野修一大佐、潜水艦長として知られる田上明次大佐、商船学校から潜水艦長となった寺本巌中佐あたりが有名かと思います。特選任用はわかっているのでは16名いますが、すべて少佐までです。3校の首席は残念ながらいませんでした。


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