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兵庫の海軍士官

兵庫は現在放送中の龍馬伝でもでていましたが、勝海舟の私塾同然の神戸操練所があった場所で、海軍の発祥ともかなり関係している地です。ただ、塾生は各藩から参加していており、兵庫自体からスカウトしたわけではないため、実は黎明期には海軍士官を輩出していません。海兵5期の荒井久要大尉が最初です。10期代も8人だけです。ただ大きい県で、海にも面している地であり、さらに神戸高等商船学校が設置されていることもあり、わかっている海軍士官は1600名を越えています。うち将官は40名で、大将はいません。中将は13名で、田中耕太郎・舟越楫四郎・堀内三郎・桑島省三・岸科政雄・市村久雄・鈴木義一・太田垣富三郎・松崎伊織・大西瀧治郎・柴崎惠次・水谷光太郎・和住篤太郎です。このうち一番有名なのは当然大西瀧治郎中将でしょう。航空畑に明るく、神風特攻の生みの親です。終戦後は戦時中の言動を守り、自決。特攻隊員を思って治療を拒否し、長時間苦しんだという。他には柴崎惠次中将も有名でしょう。柴崎中将は激戦地タラワの根據地隊司令官でした。地下壕を治療所に提供し、濠を移る途中で敵弾に倒れたとされる。少将では奥田喜久司少将が成都へ一聯・二聯空合同攻撃の指揮として出撃し、イ16に乗機を撃墜され戦死している、また沖縄戦に参加した沖縄根参謀の前川新一郎少将、キスカ撤退時の水雷戦隊参謀有地六次大佐、菊水作戦で朝霜とともに戦死となった小滝久雄少将が有名でしょう。

 佐官以下では、将来GF長官と期待されながらも最後の比叡艦長として責任を問われ、将官にしてもらえなかった西田正雄大佐が一番知られているでしょうか?首席は結構いて、海兵22期竹内大尉、25期松岡大佐、42期三木少佐、65期卜部章二少佐、藤井光五郎機関少将、74期三浦少尉、主2金井重太郎、海經10期田中東洋男主計大佐、海計30期後藤主計少佐です。


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