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岡山の海軍士官

岡山県は瀬戸内に面して海運に関係している人もおおかったのか1200名以上の海軍士官が判明しています。黎明期から活躍していたわけではないようです。海兵前の海軍士官は安井久信少尉(甲鉄艦の稽古士官出身)、松田金次郎中機関士(仏国留学生)、中桐亮軍医副、柴岡孝徳軍医少監、井上修秘書副とかだけです。海兵は7期の藤井大将が最初です。

将官は53名で、大将は一人藤井較一大将だけです。日露戦争時の上村艦隊が善戦したのは藤井参謀長の手腕も大きかったという。大将になってからは大正9年にリタイアしていますので、あまり目立ちません。中将は浜野英次郎・坂野常善、太田泰治、伍賀啓次郎、宇垣莞爾、宇垣纏、澤田虎夫、岸本信太、杉政人、黒田琢磨、山中朋二郎と11人です。このなかでもっとも有名なのはもちろん宇垣纏中将でしょう。開戦時の聯合艦隊参謀長で、山本長官機撃墜時に海上に撃墜され負傷したり、レイテ沖海戦で大和の第一戦隊司令官をしたり、終戦前に第5航空艦隊長官をつとめたなど大戦全体で表舞台にいた人物です。ただ最後に部下をひきつれて特攻したことには批判が多いのはご存じかと思います。また日記の戦藻録も有名です。終戦後の特攻なので特進などなにも行われなかったといわれていますが、部下は1階級進級はしています。宇垣中将は昇進はしていませんが、実は昭和44年に位階が従三位になり、勲一等旭日大綬章をもらっています。これまでの将官名簿ではのってないことですが、このようにまったくなにももらえなかったわけではないということです。その次に有名なのは杉政人中将でしょう。杉中将は海機10期の卒業です。機関科はもともとは機関中将が最高でしたが、少将以降は兵科になりましたから、制度上は一応大将にはあがれるようになってましたが実際にはなれませんでした。杉中将は旅順閉塞戦に参加後、軍備充実に功があり、大将にしようという話もあったところ友鶴転覆事故のために現役を退き、機関科出身の大将は夢と消えてしまいました・・・将官で他に有名なのは酸素魚雷と特殊潜航艇の採用成功に関係した岸本鹿子治少将、真珠湾・珊瑚海の瑞鶴艦長横川市平少将、最後の摩耶艦長大江覧治少将あたりでしょうか。

 佐官以下では潜水艦長として有名な横田稔大佐、航空畑の安延多計夫大佐、南雲艦隊の雀部利三郎大佐、戦闘機乗り小福田祖中佐、終戦後自決した国定謙男少佐、神雷部隊野中五郎大佐、昭和以降の商船学校転官者最高位の石原薫大佐、海自海幕長をつとめた中村悌次大尉あたりでしょう。

海軍学校の首席は海兵41期小西大佐、47期光延少将、67期中村大尉、機7期川路少将、34期森下大佐、43期岩井少佐、45期岡元少佐、主系学校小川大主計、海経1期片岡主計中将です。特選任用は21名わかっていますが、中佐になったのは佐藤京一中佐と嶋尾平七主計中佐だけです。大和で二人山野京市と山本粂太郎両氏が特選少佐になっています。


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