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山口の海軍士官

山口はご存じの通り毛利家の領地で、明治j時代は海軍は薩摩、陸軍は長州閥といわれていたことから、海軍士官は少ないと思われがちです。しかし、実は海軍にも初期から活躍している方がめだちます。そのかわりかなり個がめだった方が多いという感じでしょうか。海軍士官としては2200名も判明しています。黎明期の海軍士官として重要なのは有地品之允大将でしょう。常備艦隊司令官をつとめています。テールス号事件の責任をとって予備役となりますが、退役後も海事協会などを設立したりなど、大正8年に没するまで活躍しました。他には坪井航三中将で、日清戦争の第一遊撃隊司令官で、将来のGF長官と嘱望されていましたが、病没された方もいます。異色なのは服部潜藏大佐で、英国留学をおこない、そのまま英海軍にはいって地中海艦隊の砲艦艦長まで勤めた後、海軍にはいってます。明治初期に艦長を歴任した瀧野直俊少将、梨羽時起中将なども山口です。また大村益次郎の養子である大村松二郎もいます。

 将官は全部で95名もいます。大将は3人もいて、艦隊派の大物末次信正大将、海軍次官の立場として避戦を訴えたが(そのためにただ一人海戦時の主要人物で東京裁判に掛けられていない)、開戦ととめられなかった澤本頼雄大将、航空主兵を訴えた一人である山縣正郷大将です。中将以下ではルンガ沖夜戦で大勝利を収めた田中頼三中将、三国同盟産生を訴えた海軍過激派とも称されたグループの中心人物石川信吾少将、4艦隊参謀長澄川迪男少将、レイテ沖の長門艦長兄部勇次少将、日向艦長野村留吉少将、榛名艦長重永主計少将などが知られているでしょうか。

 佐官以下では欧州大戦時に地中海で撃沈された榊の艦長であった上原太一中佐、201空司令山中龍太郎大佐、第三次ソロモン海戦で撃沈された綾波艦長作間英邇大佐、支那事変の陸攻隊新田慎一中佐、ハワイで撃沈された伊23艦長柴田源一大佐、三艦隊参謀末国正雄大佐、真珠湾で戦死した戦闘機乗り飯田房太中佐、やはり戦闘機乗りで撃墜王でもある白根斐夫中佐、艦爆乗り阿部善次少佐、マダガスカルに特殊潜航艇で攻撃をおこなった秋枝三郎中佐あたりが有名でしょうか。

 特選任用も49名も判明しています。中佐も7名もいます。柏卯一(14空)、氏本芳登(6潜水艦基地隊)、松田織之助(潜水學校)、田中黨槌(津軽)、藤津吉太郎(冲鷹)、玉井林治郎(岩國空)、玉井一三(第101燃)です。

 海軍三校の首席も多く、10名います。兵26期木原中佐、31期枝原中将、34期佐古中佐、36期佐藤中将、58期井澤中佐、機10期三島少機関士、20期三戸中将、26期脇機関中佐、28期秋重少将、40期山本中佐です。特攻も多く、91名もいます。


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コメント

私の祖父「黒才常次郎」(クロサイ)は海軍軍人で、横須賀・佐世保鎮守府にいたと聞いております。
明治40年ころ退役し、正7位勲5等の叙勲を受けていますが、最終地位・経歴等不明です。
出身は山口県防府市です。
「日本海軍士官総覧」も閲覧したけど記載なく
調査に行き詰まっています。
調査資料等について、ご教示いただければ
ありがたいです。

投稿: 黒才三男 | 2013年3月12日 (火) 16時56分

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