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宮崎の海軍士官

 宮崎県はかなりの部分が海に面しており、海軍士官も多そうですが、わかる範囲では600程度しかおらず、意外な感じがします。将官も24名で、大将は一人でした。大将の一人は財部彪大将で、山本権兵衛大将の娘婿でもあったことから出世が早かったともいわれている。政治家畑の人で、ロンドン会議後の統帥権干犯問題で艦隊派の更迭に際して自分も海軍大臣を辞任し表舞台を退いている。

 他の将官としては最後の聯合艦隊司令長官小澤治三郎中将、スリガオ海峡沖海戦で西村艦隊の後から突入した5艦隊長官志摩清英中将、武蔵初代艦長有馬馨中将、エンガノ岬沖海戦時の伊勢艦長中瀬泝少将、ホーランディアで玉砕した九十警備隊司令鬼束鐵夫少将、ビルマでほぼ全滅した十二警備隊の司令河野康少将など大戦期の将官がめだちます。また

 もとは鹿児島藩士の家系ですが、慈恵医科大の創設者で、脚気の要因を食事だと見抜いてパン食を導入した高木兼寛軍医少将も本籍は宮崎県です。高木軍医少将は統計学の方でもこの脚気についての実証実験で有名でもあります。時折大学などの入試にも国語で出題されていたりしました。

 佐官以下では210空飛行隊長塩水流俊夫大尉、飛龍機関科で沈没直前に脱出して捕虜となった萬代久男少尉などが有名ですが、一般的によく知られた人はあまりいません。首席は2人で、海兵15期財部大将と、60期黒木亥吉郎中佐です。

 特選任用は13人が判明しているのみです。中佐になった人はいませんでした。特攻は43人でした。正規士官は2人で、ほとんどが予科練出身者でした。


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