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鹿児島の海軍士官

鹿児島はご存じの通り、初期の海軍は薩摩閥が強く、初期を中心に多くの海軍士官を輩出しています。人数も2800名ほど判明しています。将官も147名も判明しています。大将だけでも17人にのぼり、西郷從道・伊東祐亨・井上良馨・東郷平八郎・伊集院五郎と元帥だけで5人にも上ります。それぞれについては超有名でもあり、解説は不要でしょう。他の大将でも川村純義・柴山矢八・鮫島員規・日高壮之丞・山本権兵衛・片岡七郎・上村彦之丞・樺山資紀・野間口兼雄・竹下勇・山本英輔・野村直邦とやはりいずれも有名です。そのうち野村大将は海軍大臣就任後5時間後に内閣が総辞職し、5日の在任という大臣最短記録を作りました。中将以下でもやはり日清・日露戦争で活躍した人が目立ちます。伊東元帥の兄の伊東祐麿中将、海軍三元勲仁禮景範中将、アナポリスに留学した松村淳藏中将、井上良智中将、日清戦争の吉野艦長河原要一中将などなど揚げたらきりがありません。太平洋戦争期でも岩倉具視の孫でブイン地区の海軍側最高指揮官鮫島具重中将、初代大和艦長宮崎秀徳中将、ビハール号事件の責任を問われた左近允尚正中将、ビアクで戦死した千田貞敏中将、中国で活躍した前田稔中将、最後の三隈艦長崎山釋夫少将、指揮官自ら体当たりを実践したことで知られる有馬正文中将、雲龍艦長小西要人少将、三国同盟賛成論者で、大和特攻の立案者でもあった神重徳少将、陸攻の神様などとして有名な入佐俊家少将などなどやはり沢山います。ちなみに島津家30代当主の島津忠重公爵も海軍少将でした。

 佐官以下でも、初期に存在した海兵隊の基礎作りで活躍した赤塚真成大佐、潜水艦による訪独を唯一完遂した伊八艦長内野信二大佐、月光斜銃の考案者であることとともに厚木反乱事件の中心人物小園安奈大佐、GF参謀として有名な千早正隆中佐、潜水艦乗りで有名な折田善次中佐、偵察の名手で「我においつくグラマンなし」という有名な報告をした千早猛彦大佐、三四三空飛行長志賀淑雄少佐、有名な陸攻乗り壹岐春記少佐、戦闘機乗り指宿正信少佐などなど佐官だけでもいっぱいいます。また全員戦死してしまった川久保4兄弟川久保尚忠少佐(神威で戦死)、三郎少佐(サイパン沖で戦死)、志朗少佐(内南洋にて戦死)、輝夫少佐(ホーランディアで回天特攻)も有名です。

 特選任用は43名わかっています。中佐はバリックパパンで戦死した橋元磐雄中佐、ミッドウェーの蒼龍で戦死した甫立健中佐、相浦海兵団で戦病死した南田政吉中佐、終戦前に戦死した水野春三郎中佐の4人です。

 海軍三校の首席は人数からすると少なめで、海兵2期有馬新一中将、4期中林長國少佐、11期二木勇次郎大尉、46期高田利種少将と、初期に偏っています。

 特攻は95名で、正規士官でも13人の特攻があります。先ほど揚げた川久保少佐、上別府宜紀中佐、川崎順二少佐、伊東修大尉の回天特攻がめだちます。


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コメント

鹿児島の士官は理論派ではないんでないか。悪く言いたくないが、だから負けたのではないの。
西郷さんの弟や東郷さんは良かったけど
その後の方々はダメ
な方々が多そうな感じがしますよ(笑)。

投稿: あほか | 2012年9月25日 (火) 03時10分

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