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佐賀の海軍士官

佐賀海軍は黎明期の海軍で鹿児島につぐ勢力を誇っており、小さい県にもかかわらず、多くの海軍士官を輩出しています。現在のところわかっている士官は2000名弱にのぼります。

 黎明期には石井忠亮中佐(三重津海軍學校教官などを歴任し、海軍では甲鉄艦長として一時中艦隊指揮代をつとめた)、松村安種少佐(天城艦長など)、岡喜智大尉(幕府遣欧使節の一員)、中牟田倉之助中将(兵学頭として英国海軍顧問団を招聘したり、東海鎮守府長官、日清戦争当時の軍令部長など要職を歴任した佐賀海軍の代表的人物)、真木長義中将(海軍裁判所長などをつとめた)、相浦紀道中将(常備艦隊司令長官などを歴任)、古賀喜三郎(海軍進学校としてしられた海城中の創設者)などなどあげたらきりがありません。

 将官も多く、125名もおり、さらに大将も6名もいます。金剛型の発注に際し14インチ砲採用に尽力した村上格一大将、日本海海戦で三笠砲術長だった安保清種大将、兄弟で大将になった百武三郎・源吾大将、米内大将をついで三国同盟に反対しつづけた吉田善吾大将、戦争中の2代目聯合艦隊司令長官古賀峯一元帥です。中将は33名でm先ほどあげた方以外にも、雅子さまの曾祖父で、海軍兵学校史上最も頭のよかった生徒といわれる江頭安太郎中将(あるとき他の生徒が一科目だけでも抜いてみようと、分担して集中的に1科目だけを勉強して挑戦したがだれも抜けなかったという逸話がある)、戦史家としてもしられ、東郷元帥の私設副官のような存在だった小笠原長生中将、上海特別陸戦隊での闘将として知られる大河内傳七中将、第二南遣艦隊長官原清中将、第二遣支艦隊長官副島大助中将、二十二戦隊司令官久保九次中将、二十七航空戦隊司令官松永貞市中将、初代予科練部長で、ルーズベルトニ与フル書で知られるようになった市丸利之助中将、初代大和艦長高柳儀八中将などなど有名な方が数多く見られます。

 佐官以下でも運用のエキスパートで翔鶴運用長としての著作がある福地周夫大佐、三艦隊・GF参謀などをつとめた通信専攻の中島親孝中佐、5.15事件の黒岩勇少尉、三上卓中尉、古賀清志中尉、真珠湾攻撃の制空隊指揮官板谷茂中佐とその弟隆一中佐、呂501艦長として回航にあたっていた乗田貞敏中佐、ガダルカナルで沈没した伊1艦長坂本栄一中佐、笹井中尉の義兄で浜空ツラギ派遣隊指揮官田代壮一中佐、台南空飛行隊長だった新郷英城中佐、ブーゲンビルで戦死した瑞鶴飛行隊長納富健次郎中佐、大和沈没時に戦死した高射長川崎克己中佐、やはり瑞鶴飛行隊長をつとめた松村平太少佐、名取通信長として沈没に遭遇し、「先任将校」の著作などを遺した松永市郎大尉など正規士官だけでもかなりいます。おまけですが、佐賀海軍の名士で佐野常民海軍少丞も、日本赤十字社の創設者として知られています。また大空のサムライの著作でしられる著名な撃墜王坂井三郎中尉も佐賀出身です。

 特選任用は意外と少なく、わかっているのは18名で、中佐になっている方はいませんでした。海軍三校の首席は多く、12名います。兵3期横尾道昱大佐、8期今泉利義少将、12期江頭安太郎中将、19期百武三郎大将、30期百武源吾大将、38期原清中将、57期板谷茂中佐、機24期福地英男中将、經2期横尾石夫主計中将、14期池田晴男主計大佐、21期前田孝充郎主計中佐、24期川久保忠郎主計中尉です。ついでに操練38期坂井三郎中尉も首席です。


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コメント

伊1号潜水艦長坂本栄一中佐について御教示戴きたくメールさせて戴きました。
宜しくお願い申し上げます。

投稿: 勇一三〇二 | 2016年5月11日 (水) 10時02分

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