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甲飛七期卒業写真帖

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「甲飛七期卒業写真帖」

1942年

編纂委員

非売品

1942年

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甲飛7期のアルバムです。卒業生の写真は全くなく、司令・教官などの写真と訓練風景だけです。名簿も全くありません。

当時の司令は青木大佐で、ミッドウェー沖海戦での赤城艦長です。


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コメント

叔父が甲飛七期生で昨日6/24が命日でした。(偵察機?に搭乗、帰還がなかったため)何か叔父の人柄などを偲ぶ物がないか検索したところこのHPを見つけました。
この写真帳を閲覧する方法はございませんか?

投稿: 西岡昌彦 | 2012年6月25日 (月) 12時02分

西岡様
7期甲飛会の名簿に同性の方がおられます。
昭和19年6月24日にソロモン南洋群島において戦死となっております。
出身中学は小城中学校で艦上爆撃機の偵察員です。
7期の集合写真が有りますが、全員ではないので叔父様が写っているかどうかは判りません。
因みに私の父も7期でした。


投稿: 桑田 | 2012年8月17日 (金) 08時16分

お返事ありがとうございます。
叔父に間違いございません。
西岡親信です。
30年前に父に連れられ靖国神社での慰霊祭に参加したこともあり、土浦飛行場で資料館のようなところも見学しました。
当時の事は学校や映画などで強く学んでおりますが、その真っ只中に叔父がいたことを誇りに思っています。
叔父のことをよく知る叔父伯母からその人柄を聞く前に亡くなり、何か我が家の後世に伝えられるものを作っておきたくて探しておりました。
叔父を知る方からお話しを伺えるのが理想ですが、今では無理でしょう。
せめて何か写真でもあれば拝見させていただきたいです。

投稿: 西岡昌彦 | 2012年9月 6日 (木) 14時51分

横から失礼します。西岡上飛曹は鹿屋空→「龍鳳(飛鷹)」→582空→?→横須賀空(戦死)という経歴だったかと思いますが、「日本海軍艦上爆撃機 彗星 愛機とともに」(吉野泰貴著)に昭和19年6月24日の横須賀空艦爆隊のことが数ページながら触れられています。「龍鳳」582空での集合写真は見たことがございません。以上、亀ですがご参考までに。

投稿: 川崎まなぶ | 2013年1月 4日 (金) 00時19分

貴重な情報ありがとうございます。
早速購入して拝読いたします。

投稿: 西岡昌彦 | 2013年1月23日 (水) 12時50分

予科練教育―ある教官と生徒の記録 (1974年) 原田 種寿、 村上 令著

7期甲飛、艦爆偵察員だった村上さんの著作が含まれています。予科練~大井空~鹿屋空~「瑞鶴」での話が書かれており、私がざっくり見た限り西岡さんの話は直接ないですが、雰囲気は伝わるのではないでしょうか。古本で手に入る(例えばamazonなど)はずです。

「龍鳳」艦爆隊->拙著、マリアナ沖海戦―母艦搭乗員激闘の記録、582空艦爆隊->拙著、日本海軍の艦上機と水上機―その開発と戦歴 で活動を簡単に触れています。ご興味があれば図書館などでご笑覧ください。

投稿: 川崎まなぶ | 2013年2月 3日 (日) 13時27分

川崎様 情報ありがとうございます。
家に昔から古いトランクがあり、レトロな感じが好きだったので、物入れとして使用しておりました。
数年前に、箪笥の奥から叔父の戦死を知らせる手紙を発見し、遺品としてトランク・通帳・褌等を送る内容がかかれており、そのトランクが叔父の遺品だったことに気付きました。
叔父が自分がどのような生き様であったか、私に伝えようとしている気がして、調べております。
何か他にも情報がありましたら、是非お教え下さい。
同期の方がおられれば、是非お会いしたいものです。

投稿: 西岡 昌彦 | 2013年2月 4日 (月) 16時28分

西岡様。叔父様の情報、良かったですね。
今、甲飛7期で生存されている方は数名だけだと思います。その情報も既に3年ほど前のものなので、果たして・・・
もし私の持っている情報で良ければ、このHP作者の方経由でアドレスを教えて頂ければ、少し時間はかかりますが連絡させて頂きます。

投稿: 桑田 | 2013年2月 5日 (火) 00時20分

西岡様

あくまでも私見ですが、お聞きになりたいことは今となっては予科練の同期生に伺うのは難しいと感じます。何分、皆さん高齢となられておいでですし、同期生同士で身の上話をすることはあんまり聞かないです。むしろ、後輩とか整備の人、同郷の人とか、そういう人とそのようなお話をされることが多いように感じます。そういう人を探すというのは今となっては困難ではないかと思っています。

それよりも、ご本人からのお手紙や、写真、または西岡親信さんのご兄弟の方々が何か書かれていないかどうか、探してみるといいかもしれません。直接知る肉親の方々が一番気にかけておられたのではないかと思っています。

最後になりますが、予科練外史は読まれておられますか?乙飛が主役とはいえ、予科練がどんなところで、どんな人達がいたのかを知るに最上の本と思っています。手に入りにくいので、まずは図書館などを使うのがよろしいのかと。

投稿: 川崎まなぶ | 2013年2月11日 (月) 09時01分

西岡様

先日思わぬところからこのサイトにたどり着きました。

これが西岡様の目にとまることを切に願いながらキーをたたいています。

私は霊感が強いかどうか自分ではよくわかりませんが、幼少のころより誰かが私に語りかけてくることを感じていました。

中学生のころ、それが海軍の飛行機の搭乗員の方で若くして戦争で亡くなられた方だとおぼろげにわかってきました。

死にたくなかったのに若くして死ななければならなかったその方は、私の生き方をうらやましく思われる反面、いつも私に「悔いが残らぬよう、やれることを、やれるときに、やれるだけしておきなさい」と語りかけてくれました。

そして、人生いろんなことがありながら問題がおきたときは何かの力がはたらき最悪の事態にならずに済み、私はどなたかに護られていると感じざるを得ませんでした。

近年においてもそのようなことが起き、私を護ってくださっているのはどんな方か知りたいと常々思っておりました。

そんな矢先に出会ったのがこのサイトです。しかも私も西岡様と同姓同名の「西岡 昌彦」です。お名前を拝見して大変驚きました。

これで私のことをいつも見守ってくださったのは西岡親信様だったのだと確信いたしました。

同姓同名の西岡様のことも、もう一人の自分であるような不思議な気持ちです。

当方は東海地方在住、現在56歳です。冒頭申し上げましたようにこの投稿が西岡様の目にとまることと、願わくば一度お会いしてみたいと思っています。

今のところ連絡の手段がありませんので定期的にこのサイトを確認するようにいたします。

投稿: 西岡 昌彦 | 2015年11月 6日 (金) 10時38分

私の叔父が同じく甲飛7期でした。
北海道の石塚茂と申します。
ミンドロ島の戦いにおいて、12月15日に神風となり、突入いたしました。
写真など・・・何か見る方法などはございますでしょうか?

投稿: 石塚 | 2015年12月16日 (水) 17時59分

石塚様
甲飛名簿では叔父様について「S19.12.15比島マガリン沖において戦死」となっています。艦戦操なので艦上戦闘機(零式)です。叙勲は功4旭6。7期の訓練風景や集合写真はいくつかあるのですが、氏名表示がなく特定は困難ですね。

投稿: 桑田 | 2016年2月25日 (木) 23時31分

本日偶然これを見ました。私の戦死した叔父は西原勉(熊本県出身)で甲飛七期で九九式艦爆の搭乗員でした。甲飛~大井空~鹿屋~五八二空と同じです。昭和18年12月31日に亡くなっています。同期の清水五郎氏(長崎県出身)と初陣から戦死まで一緒に組んでいました。甲飛七期は85%が戦死しています。324名中49名が生還しています。艦爆搭乗員の生還者は、村上令氏(福岡県出身)ただ1人です。ですが、敵艦爆撃中に被弾し、右腕の肘から先を失っています。内地に送還され、明大へ進学し、ラグビー部へ入部。隻腕のラガーマンとして一世を風靡しました。その後、西日本新聞社で記者として活躍しました。文中に出てくる村上さんは令さんのことでしょう。(『長い死との戦い』村上令著)さて、色々調べたいとのことですが、生存者と遺族で『甲飛会』というのがあります。年数回、全国で海外で慰霊祭を開催していました。私の祖母、叔父、叔母、母が参加して、皆さんから戦死した叔父のことを色々聞いたようです。しかも甲飛は、縦て横の団結力が非常に強く(ナチスのオデッサ以上と思う)色々と判ったようです。残念ながら、皆さん高齢のため3年前の5月27日(海軍記念日)に土浦で最後の慰霊祭を執り行いました。ですが、事務局へ問い合わせてみてはいかがでしょうか。  次に、土浦市阿見町にある予科練跡地(現陸上自衛隊武器学校)に航空母艦を模した予科練記念館『飛翔館』があります。数年前まで、展示品の中に予科練別(甲・乙・丙・特乙など)の名簿があったと思います。また、遺族や生存者から寄贈された様々な遺品や写真が展示してありました。叔父の写真もありましたので、その中にあったかもしれませんね。更に甲飛六期は全員の顔写真と名前・出身地が書かれたものが展示してありました。(建て替わる前の『遊就館』(靖国神社)にも甲飛関係の資料がありました。甲飛六期の写真は同じものが展示してありました。建て替わったら全て展示物が変わってしまいましたが。)現在は、『飛翔館』の遺品等は全て撤去されています。残念ですが。阿見町に問い合わせたら写真や資料を見せてもらえるのではないでしょうか。それから、広島県呉市にある海軍兵学校跡(現海上自衛隊呉基地)にある資料館にも資料が展示してあります。特攻隊で亡くなった方々の写真と遺書・遺品が中心ですが。叔父の日の丸は展示してありましたが。 さて、他の資料としては『五八二空飛行機隊戦闘行動書』というのがあります。これには、日時、出撃数(戦闘機何機、偵察機何機、爆撃機何機など)、場所、帰還数、未帰還数などが記されています。また、財団法人 海原会 が出している月刊誌 『月刊 豫科練』があります。これは、年間購読料のほか年毎に寄付金が必要です。この雑誌の中に『尋ね人』というのがあって、結構活用されているみたいです。また、生存者の方々が、色々な戦中記を執筆されていて、今は甲飛七期の坂部勇旨氏(大艇搭乗員、さいたま市在住)が載っています。産経新聞の平成14年9月29日の日曜特集にも坂部勇旨さんは載っていました。 産経新聞では、艦載機搭乗員の講演会など開催していて、今度の3月4日(土)13時から大阪市 大阪芸能会館で大野徳兵衛さん(九九式艦爆~彗星、ラバウル航空隊・・・多分五八二空・・・所属)があります。同隊だったと思いますので、訪ねられたらいいと思いますよ。以上参考までに。  

投稿: 池田 聡 | 2017年2月11日 (土) 17時48分

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