海軍士官

県別海軍士官数ランキング

まだ半数しか出身県が判明していないので、参考値だと思って下さい。ただ傾向はわかるかと思うので、ランキングみたいなことをしてみます。まず将官については名簿も数種類市販されていますので、ある程度わかるかもしれませんが、まず大将の人数を県別ランキングにしてみます。

大将数
1位 鹿児島 17名
2位 東京   7名
3位 佐賀   6名

となります。全体で77名しかない海軍大将ですが、この3県だけで30名にのぼります。やはり明治の功臣が多いことが影響しているかと思われます。

では相当官を除いた海軍中将ではどうでしょうか?
1位 東京  48名
2位 鹿児島 42名
3位 佐賀  33名

東京と鹿児島はひっくりがえりましたが、3都県とも顔ぶれは一緒ですね。
やはり将官まで昇った人は明治までに卒業した人がほとんどですから、そういう意味ではしょうがないかと。

海軍少将でもやってみます。

1位 東京 137名
2位 佐賀  76名
3位 鹿児島 71名

顔ぶれはかわりませんが、鹿児島は3位までさがっちゃいました。東京はやはり人口の多さのためでしょうか。
佐賀が結構頑張ったようです。

海軍大佐・中佐では
        大佐    中佐
1位 東京 256名  170名
2位 鹿児島188名  139名
3位 佐賀 185名  121名

大佐・中佐になっても登場する県はまったくかわりませんね。

これ以下はちょっと判明していない人も多いので、階級別はやめてきます。正規士官全体の人数では(判明分のみ)

1位 東京 3227名
2位 鹿児島1479名
3位 広島1303名

となっています。佐賀は1020名で熊本がかなりの判明率となったための影響で5位となっていました。

予備・特務と含めると
1位 東京 4700名
2位 熊本 3850名
3位 鹿児島2723名
4位 広島 2663名

となりました。熊本は県全体の名簿が見つかったための影響と思います、実際にはもう少し順位は下でしょう。おそらく、東京・鹿児島・広島の順でしょうか?

逆にワーストはどこでしょうか?外地と、戦時中に内地となった樺太を除くと

1位はダントツで沖縄でした。全体で119名だけです。2位は海無しで面積も小さい奈良県で301名、3位もやはり海無しの滋賀県で350名でした。将官に限っても、沖縄1名、奈良7名(相当官ふくむ)の1、2位はかわりませんでした。ちなみに3位は秋田県で8名です。大佐では、1位沖縄2名、2位岩手9名、3位北海道10名の順です。相当官を含めれば1位沖縄3名、2位秋田16名、北海道17名です。岩手は相当官が15人もいるので、奈良もぬいて5位でした。

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海軍兵学校・機関学校等の首席卒業者

ときどき首席卒業の方を調べにいらっしゃる方がいるので、一応まとめてみます。本来初期には首席という概念がないですが、戦前の名簿でクラスヘッドという扱いで、1期から載っているものもあったので、1期の平山大佐から乗せておきます。宮様を先にあげておきます。その後に首席卒業者とします。



皇族
17期 東伏見宮依仁親王 大将(元帥) 東京 大正11. 6.27  
19期 山階宮菊麿王 大佐 東京 明治41. 5. 2 病死
36期 有栖川宮栽仁王 少尉 東京 明治41. 4. 7 病死(兵学校在学中)
45期 伏見宮博義王 大佐 東京 昭和13.10.19  
46期 山階宮武彦王 少佐 東京 昭和62. 8.10  
49期 華頂宮博忠王 中尉 東京 大正13. 3.24 病死(佐世保海軍病院)
49期 久邇宮朝融王 中将 東京 昭和34.12. 7  
52期 高松宮宣仁親王 大佐 東京 昭和62. 2. 3 薨去
53期 伏見宮博信王 大佐 東京 昭和45.10.22 病死
54期 山階宮萩麿王 大尉 東京 昭和 7. 8.26 病死
62期 伏見宮博英王 少佐 東京 昭和18. 8.21 戦死(マカッサル近海・3連通司令部附)
62期 朝香宮正彦王 少佐 東京 昭和19. 2. 6 戦死(クェゼリン・6根参謀)
71期 久邇宮徳彦王 大尉 東京 平成19. 2. 7  
海軍兵学寮・兵学校
 1期 平山籐次郎 大佐 徳島 明治43. 5.11 病死
 2期 有馬新一 中将 鹿児島 明治42.12. 6 病死
 3期 横尾道昱 大佐 佐賀 明治29.12.14 公死(大連湾要港部司令官従軍中罹病)
 4期 中林長國 少佐 鹿児島 昭和 2. 4. 9  
 5期 富岡定恭 中将 長野 大正 6. 7. 1  
 6期 山内萬壽治 中将 東京 大正 8. 9.18  
 7期 嶋村速雄 大将(元帥) 高知 大正12. 1. 8 死去
 8期 今泉利義 少将 佐賀 昭和11.12.23  
 9期 土屋保 中将 静岡 昭和21. 7.23  
10期 加藤定吉 大将 静岡 昭和 2. 9. 5  
11期 二木勇次郎 大尉 鹿児島 明治26. 5.22 自決
12期 江頭安太郎 中将 佐賀 大正 2. 1.23  
13期 伊藤乙次郎 中将 愛知 昭和16. 3.27  
14期 荒尾富三郎 中佐 石川 明治38. 7.19 公死(第3艦隊副官従軍中罹病)
15期 財部彪 大将 宮崎 昭和24. 1.13  
16期 木山信吉 大尉 福岡 明治29. 4. 5 公死(東京病院・嚴島乗組)
17期 秋山眞之 中将 愛媛 大正 7. 2. 4 病死
18期 加藤寛治 大将 福井 昭和14. 2. 9 病死
19期 百武三郎 大将 佐賀 昭和38.10.30 病死
20期 大石馨 少尉候補生 高知 明治27. 9.18 戦死(松島乗組黄海海戦負傷後)
21期 古川鈊三郎 中将 福井 昭和34.11.14  
22期 竹内藏 大尉 兵庫 明治37. 5.15 戦死(吉野航海長山東角付近沈没)
23期 丸山壽美太郎 大佐 山梨 大正 6. 8.26  
24期 筑土次郎 少将 静岡 昭和19.11. 3  
25期 松岡靜雄 大佐 兵庫 昭和11. 5.23  
26期 木原靜輔 中佐 山口 大正 6. 4. 2  
27期 中村良三 大将 青森 昭和20. 3. 1  
28期 波多野貞夫 中将 長野 昭和16. 1. 7  
29期 溝部洋六 大佐 大分 大正 8.11. 6 公死(伊勢大演習中罹病)
30期 百武源吾 大将 佐賀 昭和51. 1.15 病死
31期 枝原百合一 中将 山口 昭和19. 6.28  
32期 堀悌吉 中将 大分 昭和34. 5.12 病死
33期 豊田貞次郎 大将 和歌山 昭和36.11.21  
34期 佐古良一 中佐 山口 大正13. 2. 6  
35期 近藤信竹 大将 大阪 昭和28. 2.19 病死
36期 佐藤市郎 中将 山口 昭和33. 4.12  
37期 小林萬一郎 少佐 三重 大正11. 4.20  
38期 原淸 中将 佐賀 昭和51. 8.26 病死
39期 多賀高秀 少佐 東京 昭和59. 9.23 病死
40期 岡新 中将 東京 昭和33. 3.23 病死
41期 小西干比古 大佐 岡山 昭和29. 4.11  
42期 三木繁二 少佐 兵庫 昭和 3.10. 8 公死(英国駐在中傷死)
43期 濱野力 少将 富山 昭和32. 3. 4  
44期 一宮義之 少将 徳島 昭和23.11.12  
45期 中村勝平 少将 富山 昭和46. 6.29 病死
46期 高田利種 少将 鹿児島 昭和62.10.25  
47期 光延東洋 少将 岡山 昭和19. 6. 9 戦死(アペニン山脈・在伊武官)
48期 高橋繁次郎 少尉 広島 大正10. 6.12 公死(呉・長門糧食搭載中負傷)
49期 松浦義 大佐 島根 昭和37.11. 1  
50期 中野實 大佐 広島 昭和56.11.28  
51期 樋端久利雄 大佐 香川 昭和18. 4.18 戦死(ブーゲンビル島・搭乗機撃墜)
52期 入江籌直 大佐 鳥取 平成15. 2.12  
53期 道木桂 大尉 愛知 昭和 8. 1.14 公死(三保ヶ関沖・早蕨沈没)
54期 大石宗次 中佐 神奈川 昭和47.2.26 病死
55期 村田益太郎 中佐 石川 平成 5. 7.20 病死
56期 大塚范 中佐 東京 昭和18.11.18 戦死(ニューヘブライズ・伊20艦長)
57期 板谷茂 中佐 佐賀 昭和19. 7.15 戦死(千島幌筵付近・味方陸軍機により撃墜)
58期 井澤豊 中佐 山口 平成 6. 3.22  
59期 藤野隆雄 中佐 滋賀 昭和18. 7. 6 戦死(コロンバンガラ島・新月沈没)
60期 黒木亥吉郎 中佐 宮崎 平成 1. 8. 8  
61期 相田俊二 少佐 福島 平成17.12. 1  
62期 田中武克 少佐 福井 昭和35. 6.19  
63期 魚野泰弘 少佐 鳥取 昭和19. 2.18 戦死(内南洋・追風艦長)
64期 川島立男 少佐 千葉 昭和19. 7.12 戦死(サイパン方面・呂36)
65期 卜部章二 少佐 兵庫 平成10.10. 9  
66期 坂井知行 少佐 広島 昭和17.11.30 戦死(ラバウル・582空)
67期 中村悌次 大尉 岡山 平成22. 7.23 病没
68期 山岸計夫 大尉 東京 昭和18.10. 6 戦死(ベララベラ沖夜戦・夕雲沈没)
69期 山田進 大尉 愛知 昭和18.11.11 戦死(ソロモン・涼波水雷長)
70期 平柳育郎 大尉 埼玉 昭和19. 1. 4 戦死(ビスマルク諸島・文月)
71期 田結保 大尉 岐阜 昭和19.10.25 戦死(比島沖海戦・筑摩沈没)
72期 和泉正昭 大尉 長崎 昭和52. 9.29  
73期 鮫島豪太郎 中尉 長崎 平成17. 8.15  
74期 三浦正三 少尉 兵庫 平成 5.10.19  
海軍機関学校
旧1期 植山德藏 機関中監 三重 明治36.10.21  
旧2期 關重忠 少将 神奈川 昭和20. 3.12  
旧3期 水谷叔彦 少将 愛知 昭和22.12.10  
旧4期 藤井光五郎 機関少将 兵庫 昭和22. 7.17  
 1期 小田切延壽 大佐 東京 昭和18.10. 1  
 2期 風間篤次郎 少将 広島 昭和22. 5.16  
 3期 木村貫一 少将 東京 昭和40. 1.10  
 4期 白井斎知 大佐 愛知 昭和22. 1.14  
 5期 淸水得一 中将 山形    
 6期 淸水雄 機関少監 東京 明治37. 5. 3 戦死(朝顔丸機関長第3回旅順口閉塞)
 7期 川路俊德 少将 岡山 昭和50.12.22 病死(老衰)
8/9期 大石親德 大機関士 東京 明治37. 5.15 戦死(初瀬分隊長旅順口沈没)
10期 三島春江 少機関士 山口 明治37. 5.15 戦死(初瀬旅順口付近沈没)
11期 小濱方彦 機関大佐 三重 昭和14. 5.22  
12期 小野寺恕 中将 岩手 昭和36. 1.13  
13期 上田宗重 中将 東京 昭和14. 1.26 病死
14期 原山政太郎 機関中尉 新潟 明治43. 4.15 公死(阿多田島沖第6号潜水艇沈没)
15期 古市龍雄 中将 福岡 昭和41. 2. 1 病死
16期 富川藤太郎 少将 東京 昭和27. 8.27  
17期 葛良修 大佐 大阪 昭和37. 4.30  
18期 府東作 大佐 富山 昭和18.12. 5  
19期 櫻井忠武 中将 愛媛 昭和20. 3.16  
20期 三戸由彦 中将 山口 昭和41. 9.16 病死
21期 赤坂卯之助 少将 大阪 昭和29. 2.11  
22期 福田秀穂 機関中佐 熊本 昭和 2. 8.26 公死(三保ヶ関事件・駆逐艦蕨沈没)
23期 森田貫一 中将 三重 昭和62. 4.28  
24期 福地英男 中将 佐賀 昭和20. 8.17 戦死(自決)
25期 久保田芳雄 少将 茨城 平成 3. 2.16 病死
26期 脇太良 機関中佐 山口 昭和 7. 2.22 公死(上海事変第2艦隊参謀罹病)
27期 北川政 少将 石川 昭和62.10.14  
28期 秋重實惠 少将 山口 昭和63. 9. 7  
29期 長嶺公固 少将 長崎 昭和20. 3.17 戦死(南シナ海・第四南遣艦隊)
30期 鈴木留之助 機関中尉 神奈川 昭和 7. 5.24  
31期 鈴木重初 機関中佐 静岡 昭和13. 3. 9  
32期 吉田正臣 大佐 福岡 昭和50. 6.18  
33期 福谷英二 大佐 鳥取 平成 8. 2.11  
34期 森下陸一 大佐 岡山 昭和49. 2.20 病死
35期 福田計雄 少佐 埼玉 平成 3. 7. 5  
36期 葛西淸一 中佐 東京 平成 7.12.20  
37期 福田宗正 中佐 鳥取 平成13. 5.19  
38期 高橋實 中佐 京都    
39期 伊藤武夫 中佐 愛知 昭和59. 3.21  
40期 山本益彦 中佐 山口 昭和54. 9.16  
41期 瀧田孫人 中佐 富山 平成 7.10.18  
42期 山田亘 中佐 愛知 昭和18. 7.12 戦死(コロンバンガラ夜戦・神通沈没・二水戦参謀)
43期 岩井正二 少佐 岡山 平成22. 9. 5  
44期 孝壽悟 少佐 香川 平成12.11.16  
45期 岡本登志夫 少佐 岡山 平成16. 2. 5  
46期 林正 少佐 群馬    
47期 安永稔 少佐 神奈川 平成14. 5. 5  
48期 安增隆 大尉 福岡 昭和54.11.15 病死
49期 室谷文治 大尉 東京 平成20. 6.24  
50期 今岡潔 少佐 大阪 昭和19. 6.19 戦死(マリアナ沖海戦・大鳳沈没)
51期 丸山雅夫 大尉 鳥取    
52期 眞田義夫 大尉      
53期 靑木光雄 大尉 新潟 昭和20. 4.24 戦死(クラーク地区・攻3)
54期 石松敏之 中尉      
55期 木村英夫 少尉 京都    
海軍主計学舎・主計学校・経理学校
旧1期 末森鹿之助 主計大監 広島 大正 3. 1.20  
旧2期 金井茂太郎 主計少監 兵庫 明治38. 6.18  
小川元夫 大主計 岡山 大正 1.12. 4 行方不明(失踪宣告)
旧3期 淸水宇助 主計中将 埼玉 大正13.11.17  
旧4期 不二樹幾之助 主計中佐 大阪 昭和10. 9.17  
竹内十次郎 主計少監 三重 昭和12. 5.15 病死
 1期 片岡覺太郎 主計中将 岡山 昭和34.12.16  
 2期 横尾石夫 主計中将 佐賀 昭和52. 2.21 病死
 3期 爲本博篤 主計中将 高知 昭和34. 6.29  
 4期 木寺寛爾 主計少将 長崎 昭和36. 3.29  
 5期 齋田庫吉 主計少佐 千葉 昭和 4. 4. 6  
 6期 宮本正光 主計少将 大分 昭和19. 4. 1 公死(海軍乙事件・連合艦隊主計長)
 7期 中垣仙吾郎 主計少将 福岡 昭和60. 9.11 病死
 8期 岩崎健彦 主計大佐 東京 昭和52. 8. 8 病死
 9期 菅野利 主計中尉 群馬 昭和20. 8.16  
10期 田中東洋男 主計大佐 兵庫    
11期 白石良一 主計大佐 神奈川 昭和56. 2.20 病死
12期 伏下哲夫 主計大佐 大分    
13期 靑山久二 主計大佐 富山    
14期 池田晴男 主計大佐 佐賀 平成14.12. 5  
15期 田坂定信 主計少佐 新潟 昭和16.10.23  
16期 降幡倉雄 主計少佐 長野 昭和22. 3. 6  
17期 吉野義雄 主計中佐 石川 平成15.10. 5  
18期 堀俊藏 主計中佐 広島 昭和48. 3. 8  
19期 幸崎康雄 主計中佐 青森 平成10. 3. 8  
20期 蘆田保 主計中佐 広島 昭和55. 4. 7 病死
21期 前田孝充郎 主計中佐 佐賀 昭和30. 5.30  
22期 高橋甫 主計少佐 岩手 昭和56.11.25 病死
23期 小笠原正義 主計少佐 東京 昭和57. 6.20 病死
24期 川久保忠郎 主計中尉 佐賀 昭和16. 4.14  
25期 京谷勝壽 主計少佐 鳥取 平成17. 3.11  
26期 伊藤啓五郎 主計少佐 山形 平成17. 6.27  
27期 藤原甚六 主計少佐 長崎 昭和19. 7. 8  
28期 杉山續 主計少佐 和歌山 平成11. 2.16  
29期 兒島義和 主計少佐 岐阜 昭和19. 7. 8 戦死(サイパン・6艦司)
30期 後藤進 主計少佐 兵庫 昭和20. 4.24  
31期 山崎武夫 主計大尉 愛媛    
32期 平岩千代治 主計大尉   昭和50.11. 6  
33期 槇原秀夫 主計大尉 広島 平成18.10. 1  
34期 中村和夫 主計中尉 埼玉 昭和19.10.24 戦死(レイテ沖海戦・武蔵庶務主任)
35期 杉山盛雄 主計少尉 山形    

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外地出身の海軍士官

全国の海軍士官紹介の最後の項です。外地とは台湾・朝鮮・関東州・樺太・満州が該当します。もともとこれらの出身者は海軍の徴兵・志願はできませんでしたし、海軍学校にも入れませんでしたらから、いないと思われがちです。(戦争末期には徴兵・志願がありました)この覧では名前については各地の人々の日本に対する感情がいろいろあるため姓だけの紹介にしたいと思います。

まず台湾ですが、呉・陳中尉の二人がいます。前者は兵科予備学生3期、後者は東京高船出身です。他にも日本人で台湾の学校をでた方もいらっしゃいます。朝鮮はもっと人数が多いですので、海軍士官ももっと居ます。ただ多くの方は日本姓に改姓されていいます。戦死された方もいて、予学13期の松本中尉も朝鮮出身とされています。やはりなったのは予備士官のみで、朝鮮名でいくと尹少尉、成中尉、黄大尉、劉大尉、李中尉、柳少尉、李中尉ともう一人金田少尉と全員尉官です。また朝鮮の学校出身にすれば兵・機関両学校ともいます。関東州出身では現地の学校をでた人がわかっているだけで、18名います。井上少佐(大連二中出身)のように佐官もいます。樺太は日本人がかなり植民に入っていることもあり、元々現地出身かどうかはわかりませんが、18名わかっています。最高位は加賀谷中佐で回天特攻で戦死されています。予備士官でも平林大尉が樺太出身となっています。満州も入植者がいますので、出身者・学校出がいます。出身では3人該当しますが、いずれも少尉です。(岩野・荒木少尉、味村主計少尉)学校出身では撫順中出身の古賀大尉(大学は内地です)とかがいます。

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沖縄の海軍士官

沖縄の海軍士官については沖縄海軍物語という本の紹介の時にちょこっと書きましたが、国内一少ないです。わかっている人数も118人だけです。陸軍でも多いわけではなく、このあたりは琉球処分までは琉球王国と別の国であり、日清戦争のころまでは親中国であったりなど、政治的環境や、軍人志向志向が低いといったことがあるのであろうと思われます。

 海軍将官は一人だけで漢那憲和少将のみです。漢那少将は琉球王族の一族ですが、海兵27期を3席で卒業するなど優秀な成績を収め、昭和天皇が皇太子時代の欧州周遊の際の艦長もつとめましたが、主流の薩摩閥に迎合しなかったこともあり、少将になるとすぐ予備役編入となりました。その後は統帥権独立は不可という論文を発表して海軍将官の団体から除名されるなどの騒動もあった。次席は渡名喜守定大佐で、オランダにナチスのオランダ侵攻を警告したりした功績により勲章を授与されたり、高松宮らとはかり東条内閣倒閣運動をしたりして監視をつけられたりしたエピソードがあった。大佐としてはもう一人宮澤寛辰大佐がおり、軍需関係の職を歴任している。沖縄の海軍でもう一人有名なのは伊48潜艦長當山全信中佐で、回天特攻菊水隊の成果に味をしめて同じ作戦を反復しようした軍令部の作戦に抵抗したものの、強行され、予想通り猛攻に遭い、2日粘った末撃沈され戦死した。

 他にはインドネシア独立戦争に関係して戦死した比嘉秀行少佐、復帰後沖縄県知事を務めた西銘順治中尉等が居ます。本籍は東京になっていますが、琉球王朝尚王家第22第当主尚裕氏も海軍大尉です。特選任用は上記比嘉少佐一人です。海軍三校の首席はおらず、特攻は3人で、我喜屋少尉(丙16)、砂川少佐(予学13)、下地中尉(予生1)です。

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鹿児島の海軍士官

鹿児島はご存じの通り、初期の海軍は薩摩閥が強く、初期を中心に多くの海軍士官を輩出しています。人数も2800名ほど判明しています。将官も147名も判明しています。大将だけでも17人にのぼり、西郷從道・伊東祐亨・井上良馨・東郷平八郎・伊集院五郎と元帥だけで5人にも上ります。それぞれについては超有名でもあり、解説は不要でしょう。他の大将でも川村純義・柴山矢八・鮫島員規・日高壮之丞・山本権兵衛・片岡七郎・上村彦之丞・樺山資紀・野間口兼雄・竹下勇・山本英輔・野村直邦とやはりいずれも有名です。そのうち野村大将は海軍大臣就任後5時間後に内閣が総辞職し、5日の在任という大臣最短記録を作りました。中将以下でもやはり日清・日露戦争で活躍した人が目立ちます。伊東元帥の兄の伊東祐麿中将、海軍三元勲仁禮景範中将、アナポリスに留学した松村淳藏中将、井上良智中将、日清戦争の吉野艦長河原要一中将などなど揚げたらきりがありません。太平洋戦争期でも岩倉具視の孫でブイン地区の海軍側最高指揮官鮫島具重中将、初代大和艦長宮崎秀徳中将、ビハール号事件の責任を問われた左近允尚正中将、ビアクで戦死した千田貞敏中将、中国で活躍した前田稔中将、最後の三隈艦長崎山釋夫少将、指揮官自ら体当たりを実践したことで知られる有馬正文中将、雲龍艦長小西要人少将、三国同盟賛成論者で、大和特攻の立案者でもあった神重徳少将、陸攻の神様などとして有名な入佐俊家少将などなどやはり沢山います。ちなみに島津家30代当主の島津忠重公爵も海軍少将でした。

 佐官以下でも、初期に存在した海兵隊の基礎作りで活躍した赤塚真成大佐、潜水艦による訪独を唯一完遂した伊八艦長内野信二大佐、月光斜銃の考案者であることとともに厚木反乱事件の中心人物小園安奈大佐、GF参謀として有名な千早正隆中佐、潜水艦乗りで有名な折田善次中佐、偵察の名手で「我においつくグラマンなし」という有名な報告をした千早猛彦大佐、三四三空飛行長志賀淑雄少佐、有名な陸攻乗り壹岐春記少佐、戦闘機乗り指宿正信少佐などなど佐官だけでもいっぱいいます。また全員戦死してしまった川久保4兄弟川久保尚忠少佐(神威で戦死)、三郎少佐(サイパン沖で戦死)、志朗少佐(内南洋にて戦死)、輝夫少佐(ホーランディアで回天特攻)も有名です。

 特選任用は43名わかっています。中佐はバリックパパンで戦死した橋元磐雄中佐、ミッドウェーの蒼龍で戦死した甫立健中佐、相浦海兵団で戦病死した南田政吉中佐、終戦前に戦死した水野春三郎中佐の4人です。

 海軍三校の首席は人数からすると少なめで、海兵2期有馬新一中将、4期中林長國少佐、11期二木勇次郎大尉、46期高田利種少将と、初期に偏っています。

 特攻は95名で、正規士官でも13人の特攻があります。先ほど揚げた川久保少佐、上別府宜紀中佐、川崎順二少佐、伊東修大尉の回天特攻がめだちます。

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宮崎の海軍士官

 宮崎県はかなりの部分が海に面しており、海軍士官も多そうですが、わかる範囲では600程度しかおらず、意外な感じがします。将官も24名で、大将は一人でした。大将の一人は財部彪大将で、山本権兵衛大将の娘婿でもあったことから出世が早かったともいわれている。政治家畑の人で、ロンドン会議後の統帥権干犯問題で艦隊派の更迭に際して自分も海軍大臣を辞任し表舞台を退いている。

 他の将官としては最後の聯合艦隊司令長官小澤治三郎中将、スリガオ海峡沖海戦で西村艦隊の後から突入した5艦隊長官志摩清英中将、武蔵初代艦長有馬馨中将、エンガノ岬沖海戦時の伊勢艦長中瀬泝少将、ホーランディアで玉砕した九十警備隊司令鬼束鐵夫少将、ビルマでほぼ全滅した十二警備隊の司令河野康少将など大戦期の将官がめだちます。また

 もとは鹿児島藩士の家系ですが、慈恵医科大の創設者で、脚気の要因を食事だと見抜いてパン食を導入した高木兼寛軍医少将も本籍は宮崎県です。高木軍医少将は統計学の方でもこの脚気についての実証実験で有名でもあります。時折大学などの入試にも国語で出題されていたりしました。

 佐官以下では210空飛行隊長塩水流俊夫大尉、飛龍機関科で沈没直前に脱出して捕虜となった萬代久男少尉などが有名ですが、一般的によく知られた人はあまりいません。首席は2人で、海兵15期財部大将と、60期黒木亥吉郎中佐です。

 特選任用は13人が判明しているのみです。中佐になった人はいませんでした。特攻は43人でした。正規士官は2人で、ほとんどが予科練出身者でした。

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熊本の海軍士官

 熊本は細川氏の領地でしたが、藩主自身が海軍少将でもあり、海軍士官は結構います。熊本県については本県旧海軍名簿(准士官以上)と、熊本県旧海軍戦没者名簿のおかげでほぼ全員が判明しています。わかっている人数は3855人です。うちわけは正規士官1184人(転官者8名、特選任用84人)、特務士官1903人(含む特選任用)、予備士官860名(含む転官)です。将官は65名、佐官495名、尉官3182名、候補生76名、不明35名です。戦死者は

 将官は65名ですが、大将はいません。中将は12人、相当官7人で吉岡範策・内田虎三郎・米村末喜・湯地秀生・坂本伊久太・浮田秀彦・福田良三・徳永栄・大森仙太郎・秋山輝男・岩辺季貴各中将です。少将では最後の飛龍艦長加来止男少将、終戦工作で有名な高木惣吉少将、大和艦長を勤めた松田千秋少将、最後の千代田艦長城英一郎少将などが有名でしょうか。別記事にも書いたとおり元藩主細川護久少将が初代の海軍少将でもありました。

 佐官以下では飛鷹副長として著作のある志柿謙吉大佐、ルンガ沖夜戦での二水戦首席参謀遠山安己大佐、戦後著作などを多く遺した土肥一夫中佐、台南空飛行隊長中島正中佐など有名でしょう。

 特選任用は84名ですが、中佐は2名のみで、香椎で戦死した岡本嘉次郎中佐、那覇地方海軍人事部で戦死したの中原廣吉中佐の二人です。その他の特選士官では初代軍楽少佐で、軍楽隊隊長でもあり、東京消防庁音楽隊の母体を作った内藤清五軍楽少佐が有名かと思います。

 海軍三校の首席は一人のみで、機関学校22期の福田秀穂機関中佐だけですが、美保ヶ関事件で蕨沈没の際に殉職されています。特攻の戦死者も80名を数えますが、正規士官は3人のみで、予科練が51名と大多数を占めていました。

 

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長崎の海軍士官

長崎県は江戸時代より海外との交流があり、世界に開けた場所でした。そのこともあるのか初期にも海軍士官を輩出していますが、全体を見渡してもさほど活躍しませんでした。また佐世保という海軍の三大根拠地の一つをかかえる県でもあり、1100名を越える人数が判明しています。将官も34名もいますが、やはり大成しないようで、中将は相当官も含めても松山茂・鍋島茂明中将、保利信明軍医中将、志佐勝・深水貞吉主計中将の5人のみです。少将も含めてやはり有名なのはミッドウェーで蒼龍艦長として戦死した柳本柳作少将でしょう。しかし航空関係者ではなく、砲術専攻です。

 佐官以下では雷撃の神様といわれた村田重治大佐(翔鶴で戦死)、戦争末期で活躍した三四三空の名飛行隊長鴛淵孝少佐(九州東方で戦死)、メジュロ環礁偵察などで知られる長嶺公元中佐(テニアンで戦死)、森崎湊少尉候補生(”遺書”という本の主人公)が有名でしょうか?また撃墜王としても台南空の太田敏夫飛行兵曹長(34機、操練46期)も有名でしょう。 特選任用でわかっているのは22名になりますが、中佐になったのは左谷野竹雄中佐(マレー方面で戦死)の一人です。

 海軍三校の首席は海兵72期和泉正昭大尉、73期鮫島豪太郎中尉、機関学29期長嶺公固少将、經理學校4期木寺寛爾主計少将、27期藤原甚六主計少佐です。

 特攻の戦死者は47名もいますが、正規士官は深堀直治中佐だけで、大多数は予科練と予備学生でした。

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佐賀の海軍士官

佐賀海軍は黎明期の海軍で鹿児島につぐ勢力を誇っており、小さい県にもかかわらず、多くの海軍士官を輩出しています。現在のところわかっている士官は2000名弱にのぼります。

 黎明期には石井忠亮中佐(三重津海軍學校教官などを歴任し、海軍では甲鉄艦長として一時中艦隊指揮代をつとめた)、松村安種少佐(天城艦長など)、岡喜智大尉(幕府遣欧使節の一員)、中牟田倉之助中将(兵学頭として英国海軍顧問団を招聘したり、東海鎮守府長官、日清戦争当時の軍令部長など要職を歴任した佐賀海軍の代表的人物)、真木長義中将(海軍裁判所長などをつとめた)、相浦紀道中将(常備艦隊司令長官などを歴任)、古賀喜三郎(海軍進学校としてしられた海城中の創設者)などなどあげたらきりがありません。

 将官も多く、125名もおり、さらに大将も6名もいます。金剛型の発注に際し14インチ砲採用に尽力した村上格一大将、日本海海戦で三笠砲術長だった安保清種大将、兄弟で大将になった百武三郎・源吾大将、米内大将をついで三国同盟に反対しつづけた吉田善吾大将、戦争中の2代目聯合艦隊司令長官古賀峯一元帥です。中将は33名でm先ほどあげた方以外にも、雅子さまの曾祖父で、海軍兵学校史上最も頭のよかった生徒といわれる江頭安太郎中将(あるとき他の生徒が一科目だけでも抜いてみようと、分担して集中的に1科目だけを勉強して挑戦したがだれも抜けなかったという逸話がある)、戦史家としてもしられ、東郷元帥の私設副官のような存在だった小笠原長生中将、上海特別陸戦隊での闘将として知られる大河内傳七中将、第二南遣艦隊長官原清中将、第二遣支艦隊長官副島大助中将、二十二戦隊司令官久保九次中将、二十七航空戦隊司令官松永貞市中将、初代予科練部長で、ルーズベルトニ与フル書で知られるようになった市丸利之助中将、初代大和艦長高柳儀八中将などなど有名な方が数多く見られます。

 佐官以下でも運用のエキスパートで翔鶴運用長としての著作がある福地周夫大佐、三艦隊・GF参謀などをつとめた通信専攻の中島親孝中佐、5.15事件の黒岩勇少尉、三上卓中尉、古賀清志中尉、真珠湾攻撃の制空隊指揮官板谷茂中佐とその弟隆一中佐、呂501艦長として回航にあたっていた乗田貞敏中佐、ガダルカナルで沈没した伊1艦長坂本栄一中佐、笹井中尉の義兄で浜空ツラギ派遣隊指揮官田代壮一中佐、台南空飛行隊長だった新郷英城中佐、ブーゲンビルで戦死した瑞鶴飛行隊長納富健次郎中佐、大和沈没時に戦死した高射長川崎克己中佐、やはり瑞鶴飛行隊長をつとめた松村平太少佐、名取通信長として沈没に遭遇し、「先任将校」の著作などを遺した松永市郎大尉など正規士官だけでもかなりいます。おまけですが、佐賀海軍の名士で佐野常民海軍少丞も、日本赤十字社の創設者として知られています。また大空のサムライの著作でしられる著名な撃墜王坂井三郎中尉も佐賀出身です。

 特選任用は意外と少なく、わかっているのは18名で、中佐になっている方はいませんでした。海軍三校の首席は多く、12名います。兵3期横尾道昱大佐、8期今泉利義少将、12期江頭安太郎中将、19期百武三郎大将、30期百武源吾大将、38期原清中将、57期板谷茂中佐、機24期福地英男中将、經2期横尾石夫主計中将、14期池田晴男主計大佐、21期前田孝充郎主計中佐、24期川久保忠郎主計中尉です。ついでに操練38期坂井三郎中尉も首席です。

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福岡の海軍士官

福岡県はいまでも九州一の拠点ですが、海軍士官もかなり多くの人数を輩出しています。わかっているのでは鹿児島には負けますが、2300名もいます。特に明治初期の海軍黎明期から中堅クラスの士官が多くみられます。将官は67名です。うち大将は1人、中将は12名です。大将になったのは、有名な大和の沖縄特攻(菊水作戦)で戦死した第二艦隊長官伊藤整一大将です。知米派の一人でしたが、戦艦で戦死するのも皮肉でしょうか・・中将では山内四郎・松下元・藤吉晙・出光万兵衛、広瀬正経・椛島節雄・緒方真記・山田定義・伊崎俊二・篠田勝清・古市龍雄・二階堂行健といます。うち、3航艦長官山田中将、二水戦司令官伊崎中将、最後の山城艦長篠田中将がよくみかけるところでしょうか。その他の将官では、沖縄戦で戦死した沖根参謀棚町整少将、20駆司令山田雄二少将、51航戦司令官藤吉直四郎少将あたりが有名でしょうか。

 大佐以下では先代比叡艦長などとして海軍初期より活躍した笠間廣盾大佐、201空司令、山本栄大佐、豊橋海軍航空隊司令などをした中島第三大佐、石垣島戦犯事件の関係者井上乙彦大佐、潜水艦関係の著作で有名な井浦祥二郎大佐、雷電開発に尽力した帆足工少佐などがいます。これも2000名はみてられないので、以降省略します。

 これだけ多い県ですから、特選任用も50人弱みつかっています。中佐になったのは、意外ですが山本六蔵(公死)、田中武市(大鷹)の二人だけです。首席は5人で、兵16期木山信吉大尉、機15期古市龍雄中将、32期吉田正臣大佐、48期安増隆大尉、経7期中垣仙吾郎主計少将です。

 

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